真っ白なシベリアの大平原が、ひと眠りの後で、いつの間にか、緑の草原に変わっていた。


 登(のぼる)は、飛行機の小さな窓に額を、できるだけガラスに押し付け、
 精一杯の姿勢で、下に見える曲がりくねった川や、まっすぐな道路、小さな家々を確認すると、まだ寝ているはずの頭は、急にはっきりとしてきた。


 目的地はだいぶ近づいている。


 座席の前のテレビの飛行機の運航ルートマップは、今、ロシアのウラル山脈の西にいることを、地図の中の小さな飛行機の絵が示している。

 ウラル山脈を超えると、いよいよヨーロッパへの入り口だ。もう半分以上、いや、それ以上は過ぎたかと思うと、気が楽になる。

 映画を見ているうちに何時間かが過ぎ、気が付くと、機内に明かりが再び灯されていた。

 フルーツとヨーグルトの軽食が振舞われると、飛行機はやがて、海の上に出た。北海だ。

 その先に陸地が見えてくると、前のほうから、大急ぎでトレーが回収されている。大急ぎで食べ終わると、もうすぐに着陸の準備だ。ロンドンへ。


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 登が静岡工場に転勤したのは、去年の春のことだった。もともと東京の本社採用だったため、実家から通っていた登にとっては、初めての一人暮らしになる。

 毎日の残業、長い通勤時間 都会の生活に疲れていた登にとって、静岡での新しい生活は、とても新鮮だった。  

 定時で終わる残業のない毎日。通勤時間はたったの5分、往復で10分。

 家に帰っても、日が暮れるまで、まだまだ時間がある。

 最初のうち、登はいろいろな趣味に挑戦した。囲碁や、油絵や、ギターや、釣り、さまざまなことを、気の趣くままに。

 だが、それも長くは続かなかった。何をやっても、東京の同僚達のことが気になる。自分ひとりがのけ者のような気がして、落ち着かない。

 毎日、何もすることがなく、さりとて、時間だけはたくさんあった。




 ある日、窓から外を見ると、庭に野ばらが咲いているのに、ふと、気が付いた。前に、この社宅に住んでいた人が植えたものらしい。 


 この社宅はすべてが世帯向けの広いタイプになっていて、世帯ごとには、小さな庭が備え付けてあった。

 庭は、長いこと世話する人もなく荒れ放題になっていたが、よく見ると、野ばら以外にも、あやめや、わすれなぐさが、ひっそりと咲いていた。

 庭に出て、近づいてみると、土がカラカラに乾いていた。

 「水をあげないと」

 「雑草も抜いた方がいいかな」

 なにぶんエンジニアの登は生来凝り性だったので、この日を境に、庭の植物の世話に、のめり込むことになる。


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 一年が過ぎ、登の庭はいつも花が咲き乱れ、近所でも評判になる程になっていた。

 朝、夕、そして、休みの日には一日中、庭には登の姿がある。

 「まるでイングリッシュガーデンみたい」

 今が盛りの真っ赤なオールドローズと、大輪の紫色のクレマチスを見ながら、職場の女の子が、通りかかった。

 「何?その、イングリッシュなんとかって?」

 女の子は、そんなことも知らないの?という顔をしていたが、

 次の日職場に、イングリッシュガーデンを特集している女性誌を登に見せ、
 「このナチュラルなとこがいいわよね」と、得意げに話していた。


 要するに、植物を、人工的に刈り込んだりしない、自然な感じで仕上げたイギリスでよく見かける庭のことを言うらしく、いま、園芸界では人気があるそうだ。


 その雑誌をよく読んでいくうちに、自分の庭もこういうイギリス風になれば、もっと素敵になるかもしれないと、雑誌の写真に食い入るように見つめていた。

 それからというもの、登の頭の中は、イギリスでいっぱいだった。

 「どうすれば、イギリスみたいな庭になるのかな」

 「イギリスに行きたいな」


登がイギリス行きを決めたのは、それからすぐ、ちょうど夏休みの2ヵ月前だった。


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